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2022連合三田会出席レポート コロナの感染協が少し落ち着きを見せた2022年10月16日(日)午前日吉キャンパスで恒例の連合三田会が開催された。 今年のスローガンは「つながろう、いま。つなげよう未来」だった。 コロナで2年間はオンラインでの開催だったが、2022はリアルとデジタルのハイブリッド型開催が実現した。世界中のどこからでも参加できる大会となった。 私は今年が卒業50周年に当たり、連合三田会から招待を受け、およそ1,000名の同期の仲間と新しい記念館に集合した。 実行委員長の開会宣言で、今年はコロナの感染状況をにらみながら一部リアル開催の見切り発車をした決断の裏側を語った。 連合三田会菅沼会長からは、「2年前に会長に就任してから初めての一部でもリアル開催ができてうれしい。 今日集まった卒業50周年の塾員は全員が72才以上。100才まで元気に生きられるよう健康に気をつけて過ごしてほしい。そして、今日を竹の節目のような人生の節目に、来年以降もこの連合三田会に元気に参加できるよう健康に気をつけてほしい」とお祝いと励ましのコメントがあった。 伊藤塾長からも祝辞の中で「塾員同士、縦と横で結束していってほしい」と連合三田会の意義を語られた。 その後、50周年前を振り返る記念スライドショーの上映があり、一同50年前にタイムスリップして感慨にふけった。 最後に50周年招待塾員を代表して、1972年三田会の中瀬代表が大会の準備を進めた卒業10年ごとの大会関係者への労いと感謝の言葉があった。 式典後は,各々中庭に出て久しぶりに顔を合わせた仲間と交流を楽しんだ。出店もあり、文明堂にはペンのマーク入りのどら焼きを求めて長い列ができていた。 我ら同期は都立大学駅近くのレストランに場所を移して、旧交を温めた。 今回は、観研三田会として部屋の確保は行わなかったが、コロナの感染状況を見ながら来年以降は再び設営してOB会員の交流の場としていきたい。 |
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総会出欠回答ハガキに記載された会員からのメッセージ
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観研三田会の皆様へ 商学部准教授 富田信太郎 (平成18年卒) 慶應義塾大学商学部の富田です。本日は3年ぶりの観研総会が開催されるとのことで,是非とも参加したいと考えておりました。しかしながら,義塾より教員に対して,大人数での会食を自粛するよう要請が出ておりますので,大変残念ではありますが,本日は欠席させていただくことにいたしました。 また,皆様には大変残念なお知らせをしなければなりません。 それは,現役の学生団体である観光事業研究会K-flipsが活動を終了することになってしまったことです。 K-flipsの会長を引き継いだにも係わらず,私は会長らしいことが何もできないまま,このような結果になってしまったことは本当に残念です。 しかし,コロナ禍により,K-flipsは2年以上に渡り団体として全く活動をすることができず,かつ,対面での新入生の勧誘もできないという状況では,継続が不可能となるのも無理からぬことであろうと存じます。学生団体は学生の大学生活を豊かにするためのものであって,学生を縛るものであってはなりません。 そのため,今,K-flipsが一度活動を終了するという選択をしたことは尊重されるべきものであろうと存じます。 コロナ禍において,学生団体は課外活動の一切を制限されてきました。 そのような状況にあって,フィールドワークを中心に活動する学生団体はその多くが非常に困難な状況に陥っています。 一方で,主な活動をリモートで行うことのできる団体は拡大しており,学生団体においても「栄枯盛衰は世の習い」だと感じます。 例えば,コロナショックの後,学生の間でも株式投資がにわかに関心を集めており,株式投資や資産運用を扱う学生団体では,未公認であっても100名以上のメンバーを集める団体もあるそうです。 私自身,専門領域がファイナンスであるため,金融市場に興味を持つ学生が増えることはとても喜ばしいことなのですが,その一方で,K-flipsの苦境を見るに,K-flipsのOBとしてはとても残念な思いで,なんとも複雑な気持ちになります。 とはいえ,コロナ禍もようやく正常化の道筋が見えてきました。 義塾では既に9割の授業が対面に戻っており,行動制限についても,ゆっくりとではありますが,緩和されつつあります。 課外活動の制限が無くなれば,きっと多くの学生団体が本格的な活動を再開することでしょう。 日本の入国制限も緩和されていけば,我が国の観光業も再び活気を取り戻すに違いありません。そうなれば,観光事業に関心を持つ学生も増えてくるはずです。 旅行好きの学生が集まり,もし再び観光事業研究会を復活させることがあれば,私としても全力で支援していきたいと考えております。その際には,観研三田会の皆様方にもお力添えを賜ることができましたら大変幸いに存じます。冒頭では「慶應義塾大学商学部の富田」と申し上げましたが,いつか再び「K-flips会長」としてご挨拶できる日が来ることを願っております。 以上 |
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栗原光哉さん(昭和27年卒) 82歳に入り体調も完全でなく肩・腰痛に苦しんでいます。会のお役に立つ事が出来ませんが60年の歴史ある観研の発展をお祈りします。 飯沼幸夫さん(昭和29年卒) 9月で80歳。元気に国内旅行。1月青森、4月京都・奈良、5月沖縄・宮古島。ソフトな紳士の大野先輩が亡くなられ残念。彼が4年、私が1年で、OBになっても交際。 山口禎一郎さん(昭和31年卒) 旅行、スポーツ、観光。全てが平和であればこそを痛感し、東日本大震災の映像に胸の塞がる思いです。歳相応に五体やや不満足ながら老春を楽しめる日々に感謝です。 田村信明さん(昭和32年卒) 三田会ニュースで現役の方の報告を読んでいると50数年昔の事が次々と浮かんで来ました。 八尋扶美子さん(昭和34年卒) お陰様で元気に、今年も塾員招待会に出席させて頂き、、楽しいひとときを過ごすことが出来ました。 竹田昌睦さん(昭和34年卒) 病いの影響で歩くのに不自由していますが、相変わらず元気で、仕事・合唱(三団体に所属)・NPO・会合に日々忙しく過ごしていますが、充実した人生に感謝しています。また、昨年金婚式を迎えました。 細田昌圀さん(昭和34年卒) 後期高齢者入りを境にこの一年此迄経験したことのない体の変調に驚いています。 山口俊平さん(昭和34年卒) 大震災、そして電力不足、円高、ガソリンの高騰等身近にも、多くの課題が、津波のように次々と押し寄せてきます。観研卒業後52年、現在74歳なんとか頑張って仕事を続けております。 長田亘弘さん(昭和35年卒) 元気に、人生を楽しんでいます。春六大学野球、数回応援に行き、若き血を歌って若返ってきました。総会までに早慶戦に勝って、三田の山まで行くつもりです。 中原淳さん(昭和36年卒) 至極元気に過ごしています。これからの残された人生を静かに見つめ直し自分の趣味に没頭して行きたいと考えております。 國澤潤三さん(昭和37年卒) 北の地で、元気に暮らしています。 石君平さん(昭和38年卒) 3月11日の大地震の被害のあと片付けも一段落です。元気で過ごしております。 山下祐二さん(昭和38年卒) 50数年ぶりに再開した弓道が今ではすっかり生き甲斐となり週に5日は道場に通っています。 吉田良耿さん(昭和38年卒) 1月に古稀を迎えました。旅行計画をまず決め、間に仕事を入れて、過ごしています。 似田幹男さん(昭和39年卒) 慶立、慶明の決勝戦応援に行きました。節目の試合を勝ち抜く、たくましいチームになりました。江藤監督の話を楽しみにしています。 橋本勝郎さん(昭和39年卒) 北陸新幹線が2015年3月に金沢開業します。約2時間半で着きます。金沢商工会議所常議員観光文化委員長でPRと活性化に取り組んでいます。 丸山雄紀さん(昭和39年卒) 先日、逝去された観研の大先輩(1期生)大野泰雄様には2度の職場で40年に渡りお世話になりました。お悔み申しあげます。 吉村元明さん(昭和39年卒) 医療用領域に特化した拙著「医薬マーケティング戦略 ノウハウ・ドゥハウ」を2月に上梓しました。 吉崎正俊さん(昭和39年卒) 70の手習いを始めました。3個所の木版画教室に通っています。月謝の負担を軽くする為に、シニア向けのパソコン教室の講師を引き受けるなど忙しい毎日です。 井辺博行さん(昭和40年卒) 6月末に退職します。長い間お世話になりました。 江連忠明さん(昭和40年卒) 先輩の訃報に接し、謹んでご冥福をお祈りいたします。曽根先輩は私を役員に推奨頂き観研での楽しい活動の契機を作って貰いました。機会を見て会に出席したいと思っております。 佐伯幸子さん(昭和40年卒) 親孝行のため実家へ毎月帰っています。家族・グループで近くの温泉へいって、ゆっくりするのが楽しみです。 大賀紘一さん(昭和41年卒) 3月で盛岡勤務を終わり、地震の影響で4月下旬に引越し、川崎へ戻りました。現在は自宅で次の仕事をしながら自由な日々をエンジョイしています。 増田完彦さん(昭和41年卒) 介護事業で東京と藤枝を往復しています。 藤井敬子さん(昭和41年卒) この度の地震は仙台市の申山の高台でしたので、津波はまぬがれました。いろいろとご心配をおかけしました。 地の怒り 鎮むる如く 降る雪か 停電の街 雪明りする 森哲三さん(昭和42年卒) 老人や子供の面倒を見たり講演会を聞きに行ったりとけっこう忙しく過ごしております。皆様に会えるのを楽しみにしています。 大久保民男さん(昭和43年卒) 相変わらず、男一人で気楽な年金生活を送っています。 小幡久子さん(昭和43年卒) 被災地の方々のことを考えると、日常生活が送れることが何とありがたいことかと改めて感じる毎日です。家業(ニューミヤコホテル)の方は昨年、主人は娘婿にバトンタッチしましたが、私はまだがんばっています。皆様足利にお出かけください。 門野和敏さん(昭和44年卒) 知人・友人との飲み会や、国内外の旅行を楽しんでおります。 小瀬博司さん(昭和44年卒) 長男が今年4月結婚し、子供がすべて片付いたので、ホッとしています。今年は昨年暴風雨で8合目で退却した富士山に再挑戦です。 登坂秀雄さん(昭和45年卒) 定年退職後、狭山市(埼玉県)でアルバイトしながら、年金受給生活をしております。 黒岩睦子さん(昭和45年卒) 只今、実家の母と生活しております。楽しく、介護できるようにと、努力中です。 岩崎潔さん(昭和46年卒) コンサルタント業を始めて、まもなく10年目になります。あと2〜3年で完全退職かな?と思っています。 野口英明さん(昭和47年卒) 3月11日の大震災後、旅行業は、先が読めません。自粛ムードがなくなりつつあるのが光明です。観光で日本を、東北を元気にしましょう。 銭村勝二さん(昭和47年卒) 7月上旬に実家(千歳烏山)の近く、千歳船橋のマンションに引越します。62年の人生の中で一番長い世田谷区に戻ることを喜んでいます。 蓮尾照代さん(昭和48年卒) 元気に暮らしています。 照沼邦城さん(昭和50年卒) 7月に同期を訪ねて台湾に、同期4名と久し振りにツァーに出掛けます。これから人生のコーナーを曲がり、この様な関係を深めて行ければと思っています。 押田博さん(昭和50年卒) ご無沙汰しています。たまたま出張で帰って来ました。時間があるときに、みんなで会いたいですね。皆さんによろしく。 村田達哉さん(昭和50年卒) いよいよ最後のお務めとして、オーストラリアの販社へ出向することになりました。7月に赴任しますので、シドニーへご来訪の折には是非ともご連絡ください。 近藤文彦さん(昭和51年卒) 札幌から東京に戻ってきました。 高木栄子さん(昭和52年卒) もうすぐ11か月になる孫と一緒にハイハイして遊んでいます。 小杉一朗さん(昭和56年卒) 航空会社のマイレージを使って2009年にアメリカ・イエローストーン国立公園、2011年今年のGWはヨーロッパ・クロアチアへ出かけてきました。 山根健太さん(平成9年卒) 大阪生活も5年目に入りました。大阪弁はしゃべれませんが地理には詳しくなりました。 杉尾光博さん(平成10年卒) 中国での仕事が始まり、しばらくは現地に常駐となる可能性があります。 以 上 |
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